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武部建設と北の民家の会 ワークショップ開催

武部建設と北の民家の会 ワークショップ開催

柾葺き技術の復活を目指して

武部建設(岩見沢市)とNPO法人北の民家の会は4月24日、共同で「柾葺き屋根のワークショップ」を武部建設三笠事務所で開催した。武部建設の若手大工の柳原万智子氏がリーダーとして中心的役割を務め、大工や板金技能者など約20人が参加した。
柾葺きは、明治の開拓期から昭和初期まで道内の住宅に多く用いられていた屋根の葺き方。「柾板」と呼ばれる薄く割いた木の板を屋根の土台に釘止めして何枚も重ねていくもので、その職人を「柾屋」と呼んだ。柾板は長さ1尺(約30㎝)、厚さ1分(約3㎜)ほど。材料はエゾマツやトドマツが多く、柾屋が手割りで作っていたそうだ。

柾葺き屋根はトタン屋根の普及とともに急速に衰退し、柾屋も今ではほとんど姿を消した。
今回のワークショップの目的は、この失われゆく技術の復活と継承にある。きっかけは江別市にある北海道開拓の村の修復作業だったという。

武部建設の武部豊孝氏は、「開拓の村の修復では、柾葺き屋根の職人が道内にいないため本州から呼び寄せ、材料も本州のものを使っているという話を耳にした。北海道の建築遺産なのだから道内の職人が道内の材料を使って修復できるようにしたい」と意義を語る。

今回講師として招いたのは、函館市で板金工事などを手掛ける井高泰栄氏。一級板金技能士、建設マスター(優秀施工者国土交通大臣顕彰者)でもある。
井高氏自身は柾葺きの経験はないが、父が柾屋だったため幼い頃から間近で仕事ぶりを見てきたという。ワークショップ用に提供した柾板は井高氏の父が手割りで作ったもので、長年倉庫に眠っていたそうだ。
「私が板金の仕事を始めた昭和44年頃は、もう柾葺きの家はなかった。函館では1954年の洞爺丸台風をきっかけにトタンの屋根に変わった。多くの柾屋が廃業し、板金屋に乗りかえたと聞く」と井高氏は述懐する。

ワークショップでは、あらかじめ組まれた屋根の模型に参加者たちが柾板を釘で打ち付けていった。金槌のほか、現代の施工方法に応用するため電動釘打ち機を試みる参加者もいた。
屋根の模型は伝統工法と現代工法の2種類が用意された。現代工法の模型には防水シートや胴縁を施工している。
武部氏は「屋根を葺き終わった模型は2種類とも屋外に展示し、経年劣化の比較を行う」と話し、修復作業を行う際に、より実践的な技術になるよう、今後も取組みを続ける意向だ。

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